【北京見聞録】 日壇公園への道
数日でホテル周辺の探検は終わり、次第に散歩先も日壇公园(りーたん公園)に固定化してきた。ホテルからは、高速道路2環路沿いの歩道を北上し、最初の歩道橋で2環路を東に渡ると、そこは、雅宝路であり、これを真直ぐ東に抜けると、日壇公園の西門に突き当たる。ここまで約10分の道のりだ。この途中には、見るべきものが3つあった。
最初は、高速道路を渡る歩道橋の上である。下はビュンビュン多くの車が走り抜け、冬は風があると、橋の上は寒い。ここに露店が出ているのである。そのひとつは、自転車の荷台に、保温用の布に包まれた大きな中国式サンドウィッチらしきものを積んでいる。客が来るとこれを端から包丁で切り取って売る自転車のお店。そのほかは、メンバーは固定化しているようだが、3人から7人のおばちゃん達。それぞれバッグに入るだけの商品を橋の路上に広げて通行人が足を止めるのを座って待っている。商品は、携帯電話、女性の装身具などの小間物、造花、手袋、靴下などである。それでも、いつも何人かの人が足を止めていた。ある日、自転車も露店もいない日があり、今日はどうしたのかと訝りながら歩いてゆくと、歩道橋の下に腕章を巻いた交通指導員が2人立っていた。
次には、雅宝路の途中にある路上食堂だ。彼が散歩するのはいつも朝食後であったため、お腹がすいてはいなかった。でも、その前を通ると一寸寄ってみたい気もしたが、少し勇気が足りなかった。そこは、包子、水餃子、スープなどを店先で売る店だが、歩道にテーブルと、椅子を並べているので、フランスやイタリアのカフェに見立てることもできる。椅子は10余脚あるが、客は数名から10名ぐらい。勤め人が多いが、子供連れのお母さんもいる。みんな湯気の立つ食器を吹きながら朝食中である。北京近郊では、朝食は外で買ってくるか、外で食べ、家では作らない習慣があったという話を思い出した。その店の食器は、インスタント麺の入っているような白い発泡スチロールなのだが、その中にサランラップのような薄いフィルムを敷いて、スープなどを入れて、食事が済むと、そのフィルムを取れば洗う必要は無く、節水になる。また次の客にフィルムを敷いて、その上から食べ物を入れて出す。まことに合理的ではある。日本でも地震被災地の緊急時の炊き出し風景でも見られたものだ。
最後は、この雅宝路には、朝から白人が多く行き交い、人力タクシーに乗っている白人もいる。最初、なぜか周りになじまない風景だと感じたが、毎日のことで目が慣れてしまった。また、毛皮のコートの小さな店がたくさん並んでいる。友人たずねると、彼らはロシア人で、週末に毛皮のコートを買出しに来ると教えてくれた。日壇公園の南西隅には、有名なロシア料理店(日壇モスコー風味飯店)もある。毛皮は、シベリアのほうが本場ではないかと重ねて聞くと、中国のものは加工技術がよく、値段も安い。ロシアのサラリーマンが週末に、ここでコート買って帰り、ロシアで売ると、いいアルバイトになるらしいとの返事だった。そういえば、彼のホテルでも、朝食後の時間に大きなスーツケースなどの荷物を持って、2、3人の白人グループがエレベータを占領していたり、チェックアウトのため、フロントに群がっているのをたびたび見かけた。観光客ではないと思っていたが、彼らも毛皮スーツの買出し人達だったのか。
爲季 繁
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【北京見聞録】 散歩
朝食が済めば、部屋へ帰り、ジャンパーなど着て散歩に出掛ける。外出中に部屋の掃除をしてもらう段取りで、約1時間の散歩である。
滞在した1ヶ月間は、晩秋から初冬に掛けての季節の変わり目だった。はじめは、通りの銀杏並木はまっ黄色に色づき、ポプラは青い葉を茂らせていたが、1週間もすると、銀杏は葉を半ば落とし、さらに数日でほとんど葉を落とした。その頃、最低気温がマイナス4度Cまで下がった日があり、その後、ポプラも緑の葉をぽろぽろ落として、帰国前にはほとんど冬の枯れ木状態になった。そのような中、彼は、毎日欠かさず朝食後、通りや公園を散歩した。携帯品は、財布、パスポート、携帯電話と地図である。これまでの経験から、これだけあれば、どのような事態になっても、何とか対処できる。逆に、これだけあっても対処できないような事態は、何を持っていようと役に立たない非常事態だけだと思っていた。
初めのころは、ホテル周辺の探検をかねて、やや大きな道、その傍らの小公園を歩き、北京駅までも、何回か行った。
午前8時から9時頃の時間帯には、かなり多くの人が通勤のために歩道を急いでいたが、混み合っているという感じではなく、どこか余裕のある通勤風景に思えた。ある小公園では、平日の朝にもかかわらず、多くの定年以後と思われる壮年男女でにぎわい、露天に設置されている3台の卓球台でプレーに興じ、応援者もいる。ある者は、体操マシンで、背中を伸ばしたり、腕を大きくぐるぐる回したりしながら談笑している。とにかく北京の公園は朝から大人で賑わっており、人々は朝から集団で楽しんでいるように見えた。時間によっては、トランプや中国将棋のグループもおり、応援団もついて賑やかであることに変わりはない。日本の公園との違いは、色々あるが、日本では、子供の遊具はあっても、大人の遊具は無い。中国では、普通の公園には、大人の遊具ばかりで、子供の遊具は無いようだ。
爲季 繁
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【北京見聞録】 ホテルで見かける人々
このホテルには、常時ロビーにベルボーイが一人いた。おそらく2、3人が交代で勤務しているのだろう。仕事とはいえ、毎回ニコニコ挨拶してくれる。特に用事はないが、新聞はまだかとか、今日は寒いネとか、彼は1言声を掛けるようにしていた。時には、先方から何か言ってくれるのだが、長い話は理解できないので、深く話し込むことはなかった。
ところがある時、彼らの一人にお世話になる事態に直面した。それは、携帯電話のカードの件である。日本では、携帯電話の料金は、普通の電話と同じく、大まかに言えば基本料と通話料金を実績に応じて請求が来て払う。それが頭にこびり付いていて、カードを買うという意味がわからなかった。あるとき、通話中に、英語の音声で残り1分ですという機械的な音声が聞こえ、その後電話が通じなくなってしまった。彼は、新たにカードを買って電話機の中にあるカードと交換するものと考え、裏蓋を開けてみたがそれらしいものはなかった。一応フロントの受付嬢に聞いてみたが、基本的に彼がシステムを理解していないためと、双方の英語にも問題があり、彼には理解できなかった。困っていると、ベルボーイが寄って来て訥々とした英語で言うには、自分の兄は、電話局に勤めており、私も電話は詳しい。近くのスーパーでカードを売っているから、自分が一緒に行ってカードを買い、セットしてあげると。この近くにスーパーは無かったはずだと思いつつ、付いて行くと、ホテルの2軒隣に平屋の売店がある。間口3米奥行き5米ほどの店。スーパーとはいうが、客は中には入らず、窓口から店番の中年女性に、欲しいものをいって取出してもらう雑貨屋。でも看板はなるほど「超市」である。彼は100元のカードを買った。外見は、日本のテレフォンカードのようなものだった。ボーイに渡すと、まずカードの一部をコインでこすり、出てきた番号を見ながら電話局に電話し、先方の指示で操作したあと、出来ましたという。
やっと彼にも理解できた。買ったカードの番号を電話局のコンピュータに登録すると、この電話番号に100元がリチャージされ、また、この携帯電話が生き返るという仕掛けだ。判ってしまえば実に簡単であり、電話局も料金の取りっぱぐれがなく便利なシステムである。ホテルの料金にしろ、携帯電話にしろ、いわば全て前金システムの原則に従っているのだった。また、日本との違いを言えば、通話を受けたほうの電話機にも料金が発生することだ。
携帯電話の話としては、中国では、06年現在、約5億台の携帯電話が登録されているという。日本でも数千万台はあるだろうが、この数字には驚かされる。中国は、人口が多く、国土も広い。電話線などのインフラは必ずしも十分でないことから、携帯電話が普及するのは必然だろう。そのほかに、中国社会が、人と人との信頼を大事にする、いわば人脈社会としての側面があり、この人脈を維持・活用して行くには、携帯電話は必需品とも言えるのではないだろうか。ただし、細かい技術的なことは分からないが、日本と韓国の携帯電話の方式は同じだが、中国やその他アジア諸国の方式は違うため、日本の携帯電話を成田空港で借りて持っていっても、中国国内の通話はあまりうまく出来ないと聞いた。
エ、食堂の受付係
彼は、普段は6時半から7時に起床し、シャワーを浴びて目を覚まし、身支度して2階の食堂に下りる。7時40分頃には、豪華とは言えないが出るべき料理は全て並んだビュッフェ(日本ではバイキングという)方式の朝食にありつける。食堂に入る際、受付係の女性が2人いて、客は部屋番号を告げる。どうやら3日目ぐらいには彼の527号室は、彼女らの記憶に留まったようで、「你好」と挨拶するだけで受け付けてもらえた。食堂に下りるタイミングは、なかなか難しい。日本であれば、7時からと言えば、7時までには、料理は全部揃っているはずだが、ここでは早すぎると、おかゆ、肉まんのほかは冷菜ばかり。8時頃に行くと、いく皿かなくなっているし、人が多く、席がない場合がある。数日の学習で、7時半から40分ごろが最適であることが判った 。
彼の朝食の定番は、白粥、包子(肉まん)、ほうれん草のおひたし、牛乳だ。時々、煎り卵トマト煮(西红柿炒鸡蛋)、マーボ豆腐、酢豚などがあればラッキーな日だ。牛乳の代わりに、豆乳を試してみたが、香になじめなかった。食後のコーヒーは欲しいが、なかった。ある日、隣のテーブルで欧米人らしき人がコーヒーを飲んでいるのを見かけたので、受付嬢に、コーヒーはあるかたずねたところ、「ある」との返事。キッチンと食堂の間にある準備室に入り、コーヒーをつくり、持って来てくれた。甘甘のインスタントコーヒーだった。次回に注意してみていると、戸棚の引き出しから一杯分の袋を取り出して、カップにあけ、お湯を注ぎ、かき回したスプーンをカップに入れたまま、ソーサーは使わずカップを直接手で運んでくる。ほぼ毎日コーヒーを特注していたが、黙っていては出てこなかった。他の客は、彼のコーヒーを横目で見ながら、特別に注文する人は、欧米人を除きほとんどなかった。インスタントとはいえ、慣れるとそれなりの趣があり、受付係が忙しいときなど、コーヒーを特注できない日には、十分な満足度が得られなかった。客観的に見て、北京ではコーヒーは、まだ、一般に人々には普及していないようであった。ひとつ気になるのは、彼女がコーヒーを運んでくるとき、盆に載せないでカップの取手を、直接右手で持ってくるのだが、これは我慢するとして、左手をズボンのポケットに突っ込んだまま運んでくることだった。このようなことを、気にする方がおかしいのか…。これもお愛嬌と思い直して、珈琲を、特別にサービスしてくれた彼女に心から感謝したい。
ホテルの食堂には、中国人が多く、日本人もたまに見かけた。見掛けだけでは判別できない。中国人と比較して、日本人は、まず話声が小さく、遠慮がちに行動する。女性の場合は化粧をしており、服装、持ち物がややファッショナブルな傾向がある。耳を澄ましていると、日本語が聞こえてそれと解る。他に白人客も多く見かける。英語を話す人のほかに、ロシア語を話す人もいる。
爲季 繁
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【北京見聞録】 ホテルで見かける人々
ホテルの従業員で最も頻繁に顔を合わすのは、部屋の掃除担当の3人前後のグループである。若い男女混成のチームで、日により顔ぶれは少し替わるが、4週間余り滞在したお陰で、顔なじみになり、廊下でのすれ違い時も含めて、顔を合わすと必ず、「你好」(にぃはお:意味はコンニチワ)とあいさつし、よく働いていた。彼は、土日を除き、毎日午前中、老师(先生)に来てもらい、部屋で中国語の勉強をする。老师は、地下鉄1号線で建国門駅に来て、ホテルまで歩きロビーでタバコを一服して9時半に彼の部屋へ来る。それまでに部屋の掃除を終えてもらわなければならない。最初、フロントの英語のわかる女性にお願いし、これが部屋掃除担当チームに伝えられていたが、時々遅れた。このような時、彼が「あと15分で客が来る。」というと、リーダーが「马上、马上」(まぁしゃん、まぁしゃん:意味は急げ急げ)とはっぱを掛け、まことに大車輪で仕事をこなしてくれる頼もしい人々である。
イ、フロントの受付係
フロントには、常時3名の受付嬢が配置されていた。投宿の翌日夕方、彼はフロントの受付嬢に、この近くで料金はリーゾナブルで、味も悪くない食堂を教えて欲しいと英語で尋ねた。
リーズナブルとはどれ位かと質問され、彼が、夕食で100元以下と答えると、早速熱心に同僚と話し合った挙句に、近くにあるので案内してあげるから付いて来いという。
まず、ホテルのビルの一角にある牛肉レストランへ行った。そこで受付の男性と話し合った後、ここは高いといって、ホテル前の道を50米ほど西にいったところにあるレストラン「川百味」に入った。外見はパッとしない食堂で、看板には北京ダックが美味しいと書いてある。夕食にはまだ少し早い時間であり、客はほとんどいなかった。そこで彼女は、彼に北京ダックを食べることを確認後、その店の給仕頭らしき先生(しぇんしぉん)に交渉して、北京ダック半羽は35元でよいことに話をつけてくれた。そのほか、前菜とビール、タンメンの注文までしてくれた。彼の中国語では、夕食もろくに食べられなかったところ、助けてもらったのだ。同時に、北京ダックは、1羽で食べるものと思い込んでいた彼は、半羽でもよく、その値段も交渉できることを教えてもらったのだ。彼は心から感謝した。このレストランは、それ以降、帰国時までよく使い、彼は常連客になった。
またある時、シャープペンシルの頭についている消しゴムが減り、使えなくなった。彼はフロントに行き、事情を話し消しゴムを1個分けてくれないかと頼み込んだが、余分はないと断られた。その時は、書き物の最中だったので、買いに行く時間も惜しかった。そこで、フロントで使っている消しゴムを少しの間、貸してくれないかとお願いしたところ、OKとなった。それから作業が終わり、消しゴムを返すまで2、3時間掛かったが、有難うと言って返すと、どう致しましてと笑顔で受取ってくれた。その翌日、散歩の帰り道、雅宝路にある超市(スーパー)で、消しゴム(中国語で橡皮・しぁんぴ)はあるかと聞くと、有るとの返事。値段は2元(日本円で30円)で購入した。
爲季 繁
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成田・羽田問題と広島・長崎五輪共同開催
■成田・羽田問題
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091013-00000035-jij-pol
■五輪招致、藤田広島県知事が不快感
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20091013/20091013-00000028-jnn-soci.html
この二つのニュースで思ったのが、「日本では物事の伝え方とか伝える順番が重要なんだなー」、という点。伝えるべき人に根回しをしておかないと、事前に話を聞かなかった人はへそをまげて、(問題の是非とか正当性ではなくて)「聞いてない」ということが議論の中心になってしまう。(まあ、羽田をハブにする話を成田空港関係者に根回ししても首をたてにふることはないだろうが・・・・・)。
しかし、広島知事の発言もすごいですね。
「市長さんがお2人で、例えば市議会にもどうも話をしていないらしいんですけど、聞くところによると。パッとあれを推しちゃったっていうのは、かえって難しくしたんじゃないでしょうかね。ボタンをかけ違えると、最後までボタンが合わないように。現時点では、広島市は県の協力をまったく必要としていないとしか考えようがないですね」(広島県・藤田雄山知事)
広島で五輪開催することの是非とか県民にとっての意味とか全く無視。藤田県知事が不快感を感じたそうですが、今回の議論でまったく出てこない広島市民や県民のみなさんはもっとかわいそうですね。
山本竜二
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